奥能登 珠洲の御膳を繋ぐ(2025年3月 再訪記事追加)

2024年9月 珠洲を訪問


珠洲市の北山地区は、初夏には蛍の名所となる日本の原風景のような 里山です。



2024年元旦の震災で、山や道路が崩れ、多くの家屋が被害 を受け、水道・電気は復旧しないままでした。





北山地区で代々暮してきた向さんご夫妻は「奥能登国際芸術祭」での アーティストのサポートや、蛍の保護など、地域活動に熱心に取組んで きました。
震災後、避難先の金沢から週に数回、農地の手入れと解体家 屋の片づけに通っていましたが、9月の豪雨災害により、自宅に近づく ことも困難となってしまいました。
向家で100年以上、祭りのときに使われてきた朱塗りの膳椀30組を手放 さざるを得なくなった漆器の仕分け、洗浄に行って参りました。



9月の能登も酷暑。文字通り汗びっしょりになりながらの作業です。



次の使い手を探して支援に繋げるため、こちらの品物を預かり東京へ持ち帰ります。

能登のひとつの漆文化が、そして芸術祭のサポートや地域活動にも熱心だったこの農家のご夫妻が、また新しい形で次の物語を紡いでいけるよう、一緒に応援してくれる仲間ができますように。



 

2025年3月 再び珠洲を訪問しました


こちらの写真は合成です。
実際には金沢郊外の小さな小さなアパートの前で撮りました。


写真に写っているのは珠洲の里山で農家をしていた向さんご夫妻。
背景に合成したのは、今は無き、向さんの大きな大きなご自宅。。

昨年9月、珠洲に向さんを訪ね、手放さざるを得なくなった先祖代々の朱塗りの膳椀をお預かりしてきました。


その後、全ての膳椀が、心ある方々のところへと引き継がれていきました。
その節は皆様のご協力、ありがとうございました。





先日、金沢のアパートで避難生活中の向さんを訪ねてきました。
ご不自由な暮らしと思いますが、お元気にされていて安心しました。

皆さんが引き継いだお椀に料理を盛った綺麗な写真を見てもらいながらしばしお喋り☺️



炬燵の上には、私が当時作ったポスターを大切にファイルして置いてくださっていて、嬉しいような切ないような気持ちになりました。



9月の豪雨災害があったのは、私たちが行った10日後のことでした。
豪雨の後だったら、この膳椀も救うことはできなかったでしょう。

その後、母屋も蔵も全て解体となりました。
母屋の二階にはまだ他にも輪島塗やその他貴重なものがあったそうですが、危険すぎて全く取り出すことができなかったそうです。

周りは農地でしたが、水の流れが変わってしまったため、もう耕作できない場所もあります。震災とは、水害とは、そういうものなのだと思い知りました。

辛うじて行くことはできますが、まだ道は直っていません。
珠洲市内にはいまだに水が出ない場所もあります。

美しい蛍の群生地でしたが、あの豪雨で蛍は流されてしまったでしょうか。
人は帰れなくても蛍は帰ってくるのでしょうか。

珠洲は奥能登国際芸術祭 が開催されていたところですね。
向さんご夫妻も芸術祭に出展したアーティストの制作活動をサポートし、会期中は訪問客に作品説明をしたりして、一生懸命に、そして楽しんで、参加されていたのでした。
今年は難しいのかもしれませんが、近いうちに、ゆっくりとでも、こじんまりとでも、再開されて、地元の方々が生き生きと参加されることを願ってやみません。

優しい笑顔で迎えてくださった向さんのお顔を見ていて、心からそう思いました。
改めて、膳椀の引き継ぎにご協力くださいました皆様に御礼申し上げます。

そしてこれからも時々、能登のこと、向さんのように頑張っている方々が今もたくさんいること、思い出していただけたら嬉しく思います。
 

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