輪島に行ってきました

日頃より輪島応援にご賛同くださりありがとうございます。

限られた範囲でも輪島の”いま”を自らの目で見てお伝えしたかったので、
短時間ではありましたが、FEEL J Styleでお世話になっている山元清巧堂さんにご案内いただき、現地を訪ねてきました。ちょうど1年ぶりでした。

公費解体が進んでいると聞いていた通り、
昨年メディアで頻繁に報道された輪島朝市通りは更地になっていました。


焼けた木や壊れた灯籠、崩れた祠の跡が残っていて、
曇天の下、殺伐とした風景でしたが、少し切ないお顔の大黒様が、
広い焼け跡を一生懸命守っているようにも見えました。
大黒様、がんばれ🥲



仮設住宅の建設も急ピッチで進んでいるようです。
あちこちに赤い木造の、耐用年数が長い建屋ができていました。



鳳至小学校の校庭も仮設団地に変貌しています。



輪島漆芸美術館の庭には漆器の仮設工房が並んでいました。



ただ、被災から時が止まったままの場所の方が多かったです。



校庭が仮設団地になった小学校の校舎は、床が隆起してひび割れ、
入り口には辰年=2024年の「謹賀新年」ポスターが貼られたままでした。


崩れたり、斜めに曲がって危険な状態だったりする家屋を見ると、
早く公費解体が進むようにと思います。




一方で、最近声が上がっているように、むやみに壊すのではなく、
能登の美しい風土を残すために、可能ならば解体ではなく修繕を、
という考え方にも強く賛同しています。

ただ今回の訪問で、実際に崩壊した家屋に対峙してみると、
もはやどうしていいか分からず「とにかく解体撤去するしかない」という気持ちになるのが痛いほど分かりました。
綺麗ごとではすまないと…。

だからこそ、周囲の支援が大切なのだと痛感しました。
長期的な視点で復興の未来図を描くために伴走すること。
他人事ではなく皆が災害は自分事だとして考えること。

最後の写真はSNSで拝見した新聞記事の写真をシェアさせていただきます。


公費解体だけではなく修繕費の補助も、必須だと思います。

今回私が見聞きすることができたのは、ほんの一部でしかありません。
それでもこのレポートが、ふと、私たちの自宅が災害に遭い、
毎日の目に入る景色が1年以上も瓦礫だらけで道もガタガタ、
いつ直るのかも分からないというなかで生きるとは?と想像してみるきっかけになって、災害に負けない力に結びつきますようにと願っています。

そして、難しい環境のなか、美しく優しい漆器づくりを続けてくださっている皆さんに、改めて心からの感謝と敬意を。